ことりログ

日々のつぶやきをつらつらと

In one of the stars I shall be living. In one of them I shall be laughing. And so it will be as if all the stars will be laughing when you look at the sky at night.

勘違いと勘違いが重なって

8

今後こんなことにならないようになるための自分への覚え書き。
文字に起こすと頭の中だけで考えているよりも問題点がハッキリとしてくるので。


スポンサーリンク
 

最近何かと話題になるなぁと思うのが認知症。
なんだかすごく多くなってきたような気がしませんか?

テレビでも若くして認知症になった方を追ったドキュメントなどもあり、
私くらいの年齢でも決して他人事じゃないという気がします。


認知症までいかなくても、昔に比べて物忘れが激しくなるのは年齢を重ねれば仕方がないこと。
私は若い頃、ものすごく記憶力が良かった反動か?、今になってポロポロと物忘れが多くなってきました。

それが自分でも気になっていたし、もっと物事を流すように考えず、立ち止まって考えたり発言しようと気をつけていはいます。

でもそれと若い子の記憶力を比べられちゃうと、そりゃもう劣るのは当然のこと。

そんな物忘れや記憶違いが重なって、お互い憤慨する事も多くなりました。
あ、私とトートの話です。


この間も朝から雨が降っていたので、当然のように車を出してくれると思っているトート。
これは仕方がないでしょう、これまでそうしてきたし、実際、私が雨に濡れるのが嫌いなのでよしとします。

でもさ、どんなに激しい雨が降ろうと、雪が降って道に積もっていようと、近所の中学生はみんな自転車で学校に行ってるのよね。

そういうのを見ると、「強いな」と素直に思います。たくましいなとか。
生きる力が身についているというか。

ただそれはまた別の話であって、私は自分が送っていくということを選択したし、強いとか弱いとかそいういうことではないというのはよくわかっているつもりです。


雨の中車に乗り込むと、すぐにイヤホンを耳にさすトート。
これはいつものこと。もう親と口なんて聞いたら損とでも思っているかのよう。

だからといって道中何も話さずに行くのもなんなので、何かと話しかけたりします。
今日は寒いねーとか、道が混んでるねーとか、聞き流されても全然OKな程度の内容です。
これはもう、親子二人で暮らしているから、少しでも会話しなきゃという私の義務感というか。


送ってもらっているという負い目が多少あるのか、私の他愛ない話に一応相槌を打つトート。
その時にトートが言ったカタカナの言葉がよく聞き取れなかったのですが、雰囲気的にディベートの大会の時に練習していた言葉だと思った私。

今考えれば言わなきゃいいのについ
「わ、すごい!普段の会話の中にディベートの言葉が出てくるんだね」
と言ってしまいました。

ディベートをとても嫌がっていたので、嫌がりつつもこうやって何かしら役に立ってることもあるんだと嬉しく思ったのです。

しかしそれは全くの勘違いで、トートが言ったのは「デデニオン」という言葉だったそう。
「なにそれ?」と聞いた所、
「アニメであったじゃない」
と言ったので、そこでまた私が勘違いしたわけです。

「アニメって・・・本当にトートってアニメオタクだよね・・・」


人はこれまでに経験したり見たり聞いたことに基づいて推測するのだと思います。

「あの人はこうだからこう思うだろうな」とか
「この人はこれが好きだったからこれがいいかな」とか。

今回の場合も、普段からトートはアニメをよく見ているなと感じていたし、
エヴァンゲリオンとかそのあたりのコアなファンがいるようなアニメに傾倒しているのを知っていたからつい出た言葉。


ただ、そのあとその言葉に対して怒りに火が付いたのは、やっぱり「アニメオタク」を本人がなにより自覚しているからじゃないのかなと思うのです。バツが悪いというか。

トートが言った言葉に・・・かなり傷つけられました。


「デデニオンっていうアニメ、自分も見てたじゃない。忘れたの?覚えてないの?
自分で見て可愛いとか言ってたじゃない。こわっ。野々村かよ!」


自分が痴ほう症の気があるんじゃないか?なんて思っていたところだから、物忘れがひどいことを指摘されてショックでしたが、やっぱり一番ショックなのは「野々村」と言われたこと。

ちょうどこの時、野々村竜太郎元県議が裁判中に裁判官から聞かれたことに対し、何度も
「記憶がない」
と言ったとテレビで伝えられていた時の事。


単なる嘘つきなのか、もしかして何らかの病気があるのかそれはわかりませんが、今「野々村みたいだ」と言われて、良い意味で言われていると思う人はいないでしょう。

要するにトートは、
「自分でもテレビを見てしかも可愛いと言っていたことも忘れて、まるで野々村みたいだ」
と言いたかったのでしょう。

そしてここまでひどい言い方をするのはやはり、アニメオタクという自負が少なからずあったからなのではないかな。


今振り返れば「売り言葉に買い言葉」だったのでしょうが正直、かなりショックでした、この件。
私は自分が本当に痴呆症が始まったのだと思ったほど。

だって何度思い出してもそんなアニメ知らないし、覚えていないのだもの。

「考えるカラス」という番組の中で出てくるキャラクターだそうですが、考えるカラスは確かに知っているし、あのカラスのキャラクターも可愛いと思う。

でもそれじゃなくて、デデニオンを可愛いと言ってた、と言い張るトート。
全く記憶がありません。


家に帰り、デデニオンを検索してみました。



でもやっぱり全然覚えていないし、そのキャラが可愛いとも思えないし。
ただ記憶を頼りに数回前の放送の動画を探してみました。
するとそれは「デデニオン 氷上の穴」という回でした。


動画が始まっても全然可愛いと思えないキャラクター。
どうして私はこんなのを可愛いと思ったのか、自分でも不思議。

全然可愛くない・・・可愛くない・・・と見ていると、
網で救い上げた魚がビチビチと動くシーンがあり、その動きに思わず
「可愛い」
と言ってからハッとしました。

そうか、私が可愛いと思ったのは、このキャラクターじゃなくてただ単に魚がビチビチと動いたシーンのことだったんだ。

そしてそれを
「一緒に見てたじゃない」
と言っていたトートは、いつものようにipadをいじりながら音だけ聞いていたのでしょう。

そして私が「可愛い」と言った時にだけ顔をあげ画面を見て、
「お母さんはデデニオンのキャラクターが可愛いんだ」
と思ったのでしょう。ビチビチの魚のシーンなどは一瞬のことだったので。


これでとりあえずホッとしました。
自分がデデニオンのキャラクターを覚えてないのは当然。ただ単に魚の動きがコミカルで可愛いと思っただけなのだから。
認知症じゃなかった(笑)


こう考えると・・・お互いが誤解をして、その誤解が誤解を生んで・・・
結局、こんな風に人格を傷つけられるようなことを言われる結果になりました。

何が悪かったんだろう、どこで間違えたんだろう。
ずっと考えました。


私が母親として子供たちにとって良い所は多分、普通の親っぽくない所だと思います。
自分が大人になりきれていない分、子供の気持ちに近いというか?

キチンとしてないところがむしろ子供としては楽なのでは?とも思っていました。

しかしだからこそ、つい度が過ぎてしまうことも多々あります。
壁がないというか、壁をつい超えてしまうというか。

それが今までなら良かっただろうけれど、思春期である今はやってはいけないことだったのでしょうね。

いくつかの地雷ワードを踏んでしまった結果、私をかなり傷つける言葉を放ったトート。
どうしたらいい?今後、どうしたらこんな風に傷つけられないで済む?
なにより、トートにこんな言葉を言わせないで済む?


その答えは、やっぱり松本明子さんと同じで「距離をおく」ということなのでしょうね。

これは言っちゃだめ、これもダメ、といちいち考えながら話すのは私には無理。
元々サービス精神が旺盛なので、会話のない時間を言葉で埋めようとしていまうので。良かれと思って。


だからもう、つまらないことをこの口が喋ってしまう前に、距離をおこうと。
そしてそれが、思春期の子供と母親の正しい距離だ、と。


それからは意識して、精神的な距離をおくようにしました。
最初は少し寂しかったけれど、考えてみればこれもよい子離れのタイミングだと思って。


ところが不思議なことに、
私が距離をおくということは、これまでに比べるとだいぶよそよそしくなったということ。
トートもそれを感じたのでしょう、日を追うごとに逆に私にツンツンとしてきたり、
いつしかトートはいつものモードに。


まぁ人間だから、気分のいい時も悪い時もあり。
たぶんトートがひどい言葉を言ったのも、気分の悪い時だったのかもしれません。


ただ、ここで私も気を緩めずに、楽しくしつつも一定の距離を保つように心がけています。
こんなことも慣れれば日常ですね。




あー、それにしても勘違いって悲しいなぁ。
この件はトートに話してないから、今も変わらずに
「お母さんは物忘れがひどすぎる」
と思っているのでしょうね。自分も勘違いしてるのにさ。

ま、いいけど。





☆゜.+:。゜ 今日も読んでいただきありがとうございます ゜.+:。゜☆

にほんブログ村 子育てブログ 中学生の子へ
にほんブログ村


スポンサーリンク

8 Comments

says..."管理人のみ閲覧できます"
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2016.02.16 12:34 | | # [edit]
鍵コメ様 says...""
鍵コメさん、こちらこそありがとうございます( ;∀;)

そうそう、嬉しくて調子に乗って地雷を踏む・・・
なにそれ、私の生活を見てた?って感じです(;´Д`)
舞い上がっちゃうのですよね、嬉しくて。
重りでもつけておくか・・・(´・ω・`)
2016.02.16 12:37 | URL | #- [edit]
says..."管理人のみ閲覧できます"
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2016.02.16 15:12 | | # [edit]
ちょこ君 says..."ありがとうコトリさん"
コトリさんありがとう感謝します
松本明子さんの話もぐさっときました
共感だらけ反省だらけです言葉がありません
また今日長男と口論になりました
でもお互い譲れない部分のことでした
でもなんとなくお互いうちはうち、よそはよその結論ではないかと感じたのですが、
同じ気持ちだね〜とハイタッチすることは息子とはもう二度とないと思うとさびしいです
明日は良いことあるかもしれないので寝ますおやすみなさい
2016.02.16 20:51 | URL | #IFdljVkg [edit]
歌穂 says..."No title"
息子に何度か言われた言葉に「決めつけないで!」というのがあります。
親に簡単に「息子ってこうだよねー」って表現されると反発したくなるようです。厨二病的には僕はそんな単純な言葉で仕分けられる人間ではない、昔風に言うと親にレッテルを貼られたくないとか?

思春期や反抗期には距離を置いて淡々と家事や親の務めを果たし、子供が親の手を借りたい時は黙って貸すのが理想、と思いきや所詮はまだ子供なので放って置かれるのも気に入らないようで本当にメンドウクサイ。
息子の一番可愛くない時期には、最高に可愛かった時のエピソードを思い出して「この思い出だけで生きて行ける…!」と自分を慰めていました。

今思うと、反抗期でもないかぎり母親は子供をいつまでも可愛い赤ちゃん扱いすることをやめられないのかな、と。
現在の私は、社会人の長男の誕生日に「長男が例えオジさんになってもいつまでもお母さんの可愛い子供だよー(^^)」とか言っちゃっているので結局振り出しに戻った気がしています。
2016.02.16 22:50 | URL | #- [edit]
鍵コメ様 says...""
あぁぁ~(;´Д`)

鍵コメさん、舞い上がる気持ちわかりますよ・・・
嬉しいですよね、ちらりと除く子供の顔。
たとえ困ったときだけだとしても、頼ってもらえるのは嬉しいですよね。

そんなたま~に見せる、昔の可愛かったころの息子の姿だけで、
いろんな悪行が帳消しになっちゃうのだから不思議です。
2016.02.17 14:22 | URL | #- [edit]
ちょこ君様 says...""
私はどうしても過去の思い出に浸って寂しくなってしまう性格ですが、
考えてみれば成長してある程度の変化があるのは当然のことですよね。

ハイタッチはできなくなったけど、
きっとそれ以上の喜びがある、と思いたいですね、お互いに。
2016.02.17 14:27 | URL | #- [edit]
歌穂様 says...""
わかるわかる、
「この思いでだけで生きていける」
と、昔のビデオを見ながら何度涙を流したことか( ;∀;)

でも本当に、その思いでだけで生きていけるほどの愛らしさがありましたよね。
今考えると、毎日がそんな状態を、どうしてその時は楽しめなかったんだろうと思います・・・

私もいつもアニーに言ってます。
「アニーがたとえハゲちゃびんになっても、お母さんはアニーのことを可愛い可愛いって心配してばかりいるよ」
って。

あながち間違ってないってところが自分でも怖いです"(-""-)"
2016.02.17 14:35 | URL | #- [edit]

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する

該当の記事は見つかりませんでした。